【連載】僕らのアート時代 vol.2 「無意識に過ぎ去る日常の中に至福を見出す」アーティスト・野原邦彦

PLART編集部 2017.12.15
SERIES

12月15日号

僕らのアート時代とは?

アートは「人の表現」です。人の表現を認めることは人との違いを楽しむこと。

お互いの違いを認め合うこと。そして、それぞれに自分の人生を楽しむこと。きっとここから、新しい時代がはじまります。

人の表現は「今しか」生まれません。今を生きる私たちがその表現に鎖をしめていて、次の世代に何を残せるのでしょうか。

PLARTは”時代の表現”を集めて、編んで、届けます。

連載・僕らのアート時代では、今を生きる表現者たちがここからの時代の流れを示してくれると願い、若いアーティストにフォーカスを当てます。

 

何気なく無意識に過ぎ去っている時間の中に誰もが“至福”を持っている

トロピカルブレンド/2016

人物の立体作品である。成人男性くらいの大きさだ。パステルカラーのような淡い色味。人物の肩周りをブワッと覆うような雲。人物の目には水中眼鏡のようなものをかけていてその表情が見えない。作品に近づいてみる。そこで初めてハッとする。

この作品は「木」でできているのだ。

一本の木から彫り出された人物の足元には素材である丸太の一部が残っている。遠くからは滑らかに見えていた体は無数の三角の面で削られて作られている。石膏や粘土にはないその無数の彫り跡が、この一体を作りあげるまでに想像以上の時間を費やしたろうことをイメージさせる。

「自分の中にあって形になっていないもの。そういうものを形にしようと思いました。『想像』している自分の感覚というものは、フワフワと浮かび地につかず、曖昧なものだったりくっきりと形がなくて薄れていずれ消えていくものだったりそういった想像のあり方や“浮遊感”が空に浮かぶ雲に似ているなと」

作品の共通のモチーフとして人物を囲む雲のようなものが取り巻いていて、それはどんなことを意図しているかと聞いたところ、野原さんからそのような答えが返ってきた。

作品自体は“人物”という限りなく写実的な要素と「あれ?これはなんだろう」と思わせる不可思議な要素とが混在している。このような作風に導かれた経緯はどのようなものだったのだろうか。

「最初のきっかけは、“こうだったらいいな”という自分の心地よい時間、居心地の良い場所というものを記憶から見つけ出したことです。例えば、オレンジジュースを飲んでいる人を見ても、見えるものをただ組み合わせただけではなく幼少の記憶で『蛇口をひねったらジュースが出てくればいいのに』と考えたことを思い出しました。その何気ない記憶を繋げて、オレンジジュースのドラム缶に入った人物の作品が生まれました

Nomi Ho ! / 2006

作品それぞれは、野原さん自身の脳内や記憶の中から生み出された要素が付加されている。でもその感覚は実は私たちが持っているそれととても近しいのではないか?そう思いディティールを聞く問いを重ねる。

「初めて水中眼鏡をつけた時の感覚や記憶がとても鮮明にあります。見えなかった水の中が、水中眼鏡をつけることによってはっきりと遠くまで見えた!という感動。今まで見えていなかった景色、見られなかったものが見えたという感覚が僕にはあったのです」

Refresh/2014

きっと誰もが一度は思ったことがある感覚。

そんな記憶の断片を作品に封じ込めているが、それは野原さんの“アート”にとって、どのようなことを大切にしているからなのだろうか。

気づかず過ぎ去っている時間に、人の心地よい時間やゆとりがもっとあるのではないかと考えています。ただコーヒーを飲んでいるという時間の中にもいろんな要素があります。環境やシチュエーションで味が変わったり時間の過ごし方が変わったり。でもそういった何気ない時間の中に、自分の時間がある。無意識に過ぎている時間の中に至福の時間があると思います

作品を通して伝わってくることは、想像、記憶、無意識、そして小さいけれども確かな至福というキーワード。野原さんから改めて言葉にしてもらうことで納得をする。

思わず見てしまうのは、そして、見ていて立ち止まってしまうのは、作品からいつの間にか「これは自分にもあったこと」と共感して、そして自分の無意識な日常や記憶に結びついていくからなのかもしれない。

 

なぜ木彫なのか?なぜ人間なのか?創ることへの問い

記憶の話から、「野原さんはどんな風にこれまで過ごしてきたのか」を幼少期から順に話を追っていくことに。

「父は消防士ですが昔油絵をやっていました。作品は見たことがありませんが、家の中には油絵のセットやキャンバスの木枠があって、僕に『油絵の書き方』といった本を買って来てくれたことも。だから意外と早いうちにデッサンの基本というか見たものを立体的に写しとることはできたのかもしれないですね」

小・中学校の美術は得意な方だった。当時はバスケットボール・剣道など運動をしていて進路は剣道が強い事で有名な高校へ。入学後進学科コースに属す結果となったことにより、運動部を選択できる時間が難しく美術部に入部を決めた。むしろそれが野原さんの美術に関する道のりへの大きなターニングポイントだったのかもしれない。

美術に関わる仕事ができたら・・・」と思い、高校1年の冬に美術予備校へ通い始め、本格的に絵を勉強し始めた。その後広島市立大学芸術学部美術学科に入学。

入学後1・2年は木、石、鉄、テラコッタ、粘土の5つの素材について技術を学び、3年で素材を1つに絞り自分の作りたいものを作るという課題が入る。野原さんが“作家”を意識したのは卒業制作の時。

「卒業制作は1年をかけて大作を作るのですが、そこで初めて木という素材にしようと思いました。柔らかさや雰囲気が出るのは木彫なのかなというのがきっかけで。自分が日本人だからできることをしたいと思い、京都で出会った舞妓さんを作品として、忠実に起こしていきました。これまでの人生の中で、いや、きっとこの先も、これほど努力できたことはないだろうという感覚があって、『ここから“作家として作る”ということをやっていきたい』と思い始めたような気がします」

作家初期の作品群。一番右が卒業制作(京舞妓艶姿)の作品。

木彫で、写実的なものを何体か彫っていく中で野原さん自身に少しずつ違和感が生じていく。

「ある授業で『なぜ木彫なのか』『なぜ人間を作るのか』という問いがありました。そこで自分も“なぜだろう”と。物足りなさも感じてきて。もっと自分の感覚的な部分を作りたいと思い、そこから作品に色がついたり、見たままじゃなく記憶の部分をつけていったりしました。」

作りたいものを作る。そんな明確な決意がなされてから歩んで10年。

今の心境に変化はあるだろうか?

「未完成でも今の姿を見て欲しいと素直に感じられるようになりました。5・6年目は“作りたいものが作れていない”と思うこともあったけれど、今振り返ると過去の作品にも今にはない良さがあると思えたし、その時にしかない良さがあるなと。だからこそ、今しかない良さもあるのだなと気がついてから、“今の自分”に対して自信を持って見せたいと思いますし、多くの人に見てもらいたいです」

 

設計者と表現者。自分の中に存在する二者

木彫作品を作るまでの工程を聞くと、イラストから起こす時もあるし、木という素材に直接デッサンを書き記していくこともある。そこから一番大きくとれる三点を結ぶ面をとり、細かな面を削り彫っていく。最後に角を削りながらなめらかにするところは施し、色をつけていく。

「木にデッサンをする段階が1番気を遣います。立体的なものを丸太の中にどのように入れていくか。木の芯を最後に抜くので、それがどこにあるかをわかって中心部分を頭から配置できるようにしたり、木の節や曲がりがあるので、どこを正面に持ってくるのかを調べたりします」

「基本は点と点を結び多面体を作っていきます。段々距離の短い点と点をつなげて面を作っていくように彫っていく。どんなに細かくなっても理屈としては同じで一番大きな面からだんだん面を小さくしていく作業です。ただ、大事なのはどんなに細かい作業に入っても最初に取った大きな面の一部が最後まで残り、塊としての大きさを失わないことです。なので、最初につくる大きな面の構成は何通りかありますが、その段階で格好いいなと思えると、完成した時にも同じ感覚になれます」

作業の工程だけを書くとシンプルに聞こえるが、実際は感覚的なものよりもひたすら頭の中で構造を緻密に考え設計して手で積み上げていくような実作業が多いことがわかる。

頭の使い方が二通りあって、感覚的に世界観を表現する部分と形として彫刻として彫り進めていく作業はまるで違う

話を聞いていくと野原さんの中に二者の存在がいることがわかる。

設計者として木彫の論理とその作業を実直に重ねていく人と、自分が持つ個性を紡いで表に出そうとする表現者とが、混在している。設計者だけが全面に出てきている場面と両者がミックスする工程と、表現者が躍り出てくる場面とそれぞれが工程の中で入り乱れる。

目の前で穏やかに笑う野原さんの脳内は、彫り出す木のようにいくつもの多面体でできているのかもしれない。

 

最後に

会場となった東京・上野の森美術館。

2017年12月24日〜2018年1月2日まで、野原さんの個展「ステキな時間」が開催された。

会場にはアトリエを再現し、野原さんの制作現場を再現されていた。

愛娘をモデルに取り入れた作品。Shopping/2017

野原さんの作品に近づき、誰もがフワッとした笑みを零す。

何気なく無意識に過ごす日常。その中に確かに存在している想像と記憶。

今と過去は繋がるし、見えないものと見えているものも繋がることができる。

それが形になる様を、私たちは野原さんの作品を通して体感するし、それがひいては自分の想像や記憶といつの間にか結びついているのかもしれない。

いつだって、私たちは目に見えない当たり前の思いや時間を愛しく思い、それを包みこんで生きていくのだから。

野原邦彦 今後の予定

2018年3月9日(金)―11日(日) 個展 アートフェア東京2018(東京国際フォーラム)
2018年4月7日(土)―17日(火) 個展 gallery UG

kakite : Chihiro Unno / photo by Mika Hashimoto / Edit by Naomi Kakiuchi


野原邦彦/Kunihiko Nohara

1982年北海道出身
2007年広島市立大学大学院芸術学部研究科彫刻専攻 修了

現在、gallery UG専属アーティストとして活動している
時代性が投影されたコンセプトとそれを描写する木彫の高い技術力で注目され始めている。
また表現の幅が広く、平面でも独特の世界観と手法による展開力が好評を博している。

主な略歴
2005 第90回二科展入選・特選受賞
2006 第11回 日本文化藝術奨学金
2007 プリラジュネス賞受賞
2011 帰ってきたりったいぶつぶつ展 – Bunkamura Gallery, 渋谷
2012~2017 個展-gallery UG
2014 広島市立大学20周年記念展 – 広島市立大学, 広島
   企画展 “Laissez-faire” -上野の森美術館ギャラリー,東京
2015 企画展 “Laissez-faire” - The Luxe Art Museum, シンガポール
2016、2017 アートフェア東京 野原邦彦 -東京国際フォーラム,東京

2016 個展 “浮雲記事 Floating Diary” - iart Gallery (愛上藝廊), 新竹・台湾
その他多数国内外の企画展やアートフェアに出展

 

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