立つ場所を探し続けるため、自分の目を信じられる自分であること【デザイン活動家・D&DEPARTMENTディレクター ナガオカケンメイ】
2月15日号
「ナガオカケンメイ」
この名前を見て、あなたは何を思い浮かべますか。
「日本各地の良いものを紹介する人」「D&DEPARTMENTって、おしゃれなお店をつくった人」「カリモクの椅子を広めた人」など、思い浮かんだ人は少なくないはず。
時代や流行に左右されず、愛され続ける息が長いデザインを「ロングライフデザイン」と呼び、全国各地の揺るぎない個性を紹介し続けるナガオカケンメイさん(以下ナガオカさん)。
2000年代に突入し、今では当たり前のように叫ばれるようになった、新しさを追求することへの疑問。この疑問に真っ先に立ち向かい、現代の価値を作り出したとも取れる、ナガオカさんの活動は、一体どのように生まれたのか。
そこには、社会への反骨心から生まれた、思いがけない真実が隠されていた。
欲しいものは全て作っていた
「子どもの頃はとても貧乏で。ものが欲しいなんて言えないから、作るしかなかったんです。ひな人形もこいのぼりも、全部作っていましたね。図書館でこいのぼりを調べて、ウロコはこうなのかってね(笑)。竹馬とか、自転車も作ったことがありました」
幼少時代自分が欲しいと思ったものは、「作れるかな?」に変換される。
心の根底に植え付けられた「欲しいものは作る」。その意識は、徐々に社会へとつながっていった。今、ナガオカさんがものを扱っているきっかけは、ものが欲しいという欲望からはじまっていた。
「小学校で1番好きだったのは図工の時間でした。学級発表会では演劇の衣装とか小道具、舞台美術も全部自分で作っていました。だんだん、『作る=ナガオカ』ってイメージが付いてきて、中学では体育祭のポスターとか修学旅行のしおりなども頼まれては、作っていましたね」
見よう見まねではじまった、作るという行為。「途中まで自分がやってることが何と呼ばれるものなのか、わからなかった」という。
当時ナガオカさんは、コーヒーのテレビCMに出演する建築家の清家清氏(せいけきよし 1918年12月13日生-2005年4月8日没)の姿を見て「建築家ってかっこいい」と一瞬で心を奪われ、そこから夢は建築家になった。
「中学を卒業して愛知の工業高校に入り、そこでも、ポスターなど依頼されて作ってました。でも、その行為がグラフィックデザインって呼ばれてると知ったのは、卒業間際で。建築科だから図面を描くんですけど、図面とポスターに対するデザインの区別が付かなかったんです。僕のなかでは、専門性ってどうでもよくて。ざっくりと『なんかこういう感じで』みたいなのは今もあるかな。製図もグラフィックも僕にとっては一緒なんです」
図面もポスターも”作ること”には変わりはない。
ナガオカさんには、そんな意識が知らないうちに芽生えていた。
感覚を研ぎ澄ます方法。それは、量を知り、美しい形や新しい形を、インプットする。
デザインの道に進む。それは、「作ること」だけで生まれたものではないと、ナガオカさんは話す。
高校時代は同じ土木建築課のクラスメートから建設現場のアルバイトを紹介してもらい、汗水垂らして働いた。そのお金を握りしめて、高校があった愛知県半田市から、最終電車を乗り継ぎ東京へ。大好きなコム デ ギャルソンの服を買うこともよくあったという。
「欲しいものは絶対に買ってましたね。そのあと、シンセサイザーとかにハマるんですど……、もう弾けないのに買っちゃう(笑)。買うまでが絶頂で、買ったら満足してしまって、平気で友達にあげちゃったりするんです。でも、僕にとって、買って所有することは今でも絶対ですね。だって、レンタカーを3日借りても途中で車の洗車はしないでしょ。自分の車だったら『よしよし』ってお世話して。それが好きなのですよね、全てにおいて」
ありあまる物欲は、所有欲へと変化した。ある時期から所有したものを1、2年ほど使ってみては「これ、まちがった」を繰り返した。自分が買ったものを自身の審美眼と照らし合わせるように。
「20歳を過ぎた頃から、買って使ってみて『あれ、おかしいな』とか『まちがった』という時期に入り、そのあと、ちゃんとしたものを使うようになりました。だから、たまに若い人に、『ロングライフデザインが…』とか、『長く使い続けるものの選び方は?』と聞かれるけど、『いや、そんなのつべこべ言ってなくていいから買いまくれ!』って言ってしまう。たくさん買って失敗して、『俺、なんでこんなもの買っちゃったんだろう』って経験をしないと分からないと思うから。20代の僕は、そういうことをやってましたね」
中学生の頃から『an・an』や『流行通信』、『ミスター・ハイファッション』など雑誌を読みあさり、どれも本文からキャプションにいたるまで、くまなく読んでいたというナガオカさん。その経験が、後にものに対する確固たる視点をつくっていく。
「雑誌で情報をずっと見ていると、いろんなものが形としてインプットされて、美しい形とか、新しい形が、だんだんわかってきて。それからものを選ぶときは、これまでに見てきた『やっぱりこの形は美しいんだな』って視点で選ぶようになっていました。その要領で、30代を越えて、リサイクル屋さんをめぐっては、とにかく形の美しいものを片っ端から買っていった結果、それがお店になっちゃったんです」
自分の目を信じられる自分になる
毎回私たちに身近な発見をあたえてくれるナガオカさん。数々の取り組みで注目を浴びる一方、「自分はこれしかできない」と話しはじめた。
「もともと学歴コンプレックスがあるんです。大学も出てないし美術系の教室も受けていたことがない高卒の自分が戦っていくには、自分の方程式を立てる必要があると思ったのです。その方程式を確立するために、千本ノックみたいなことをやってたんですよね」
人が評価したものから選んだり、情報を見て買ったりはしない。情報がない状態で勝負することが、自分が社会に立ち向かえる方法だと考えるようになっていった。
「まったく情報を入れない状態で、『自分はこれがいい』とか、『これ本物じゃないか』みたいな目利きは、リサイクル屋さんを長い間めぐるうちに芽生えたし、自分で選び自分の目を信じられる自分にならないと」
時代の流れの中にあった学歴社会に対して、自分はどう挑むのか。それは、自分の方程式を作り、世の中のベクトルとは違う方向を向くこと。学歴のアンチテーゼから、新しい世の中が創造されてきたことをナガオカさんの言葉の端々から感じた。
生き抜くために、自分なりのデザイン論を確立する
2008年に銀座松屋で開催され大盛況のうちに終わった、ナガオカさんの企画・構成による47都道府県のデザイン物産展「デザイン物産展ニッポン」は、当時の世相における新しい創造の先駆けでもあり、ナガオカさんの大きなターニングポイントとなった。
「たとえば、頭が良い人は時代性も含めたいろんな論理で、『こういうジャンルがあるよね。じゃあ、深掘りしてみよう』となるけど、僕はそうじゃないから。自分がデザイナーとして生きていくために、自分なりのデザイン論を確立しなきゃいけない。そのひとつが、東京中心のクリエーションの全否定だったのです。そうして仮説のもと地方に目を向けた展覧会を開催しました」
もう、東京中心じゃない。そう言い切ることで、この世の中に大きな一手を打つ。
「47都道府県のものをリサーチしていくと、伝統工芸とか地場のものとか、東京中心のクリエーターにとってはもしかしたら物凄くダサく見えて田舎くさいと思えるものがどんどん出てきて。ふと『でも、これって、デザインかもしれない』って思い始めました」
ナガオカさんは、自身のスタイルについて、“常に仮説を立て、何事も自分のお金でやってみること”と話す。そのスタイルは、この展覧会の準備でも変わらない。いろいろな土地で見つけたものを自費で買い、「これは、デザインだ」と仮説を立てる。
「僕は『デザインじゃないものをデザインだ』って言うことで、自分の方程式を模索しました。だから、他の人がデザインって言ってるデザインを否定して、『こっちのほうがデザインじゃないか』って。それを言い続けることによって、2周くらい遅れている自分が、トップに立ったりするわけですよ。それは手応えとしてありましたね。それを感じながら、“ロングライフデザイン”というようなキーワードを育てていくとよいかも、と勘が生まれてきて。だから、僕の提案って純粋なものではないですね。ほとんど、自分の反骨心から生まれてるから」
今のナガオカさんがあるのは、自分の居場所を探し続けた結果かもしれない。
「毎日デザイン賞をもらったときは、ほんとに驚きました。実際に取ってしまったら、『なんで取れたんだろう』って客観的に分析しましたけど、でもまだ、(その理由が自分にとって)わからないですね」
これから「もの」を作るのか? それとも、作らないのか?
消費社会の真っ只中の2000年からスタートした実店舗「D&DEPARTMENT」。「ロングライフデザイン」というキーワードはじわじわと広がり、いつしか、ナガオカさんを象徴する言葉となっていく。
「今みたいに長く続くものが評価される時代じゃなかったからこそ、僕たちが注目されたんです。最初にお店では形が美しくて、長く続くものを並べていましたね。デザイン業界の人は情報とか技術でその形の説明を論理立てていくんですけど、僕はすでに時代が証明したものにいくことにしたんです」
新しさを追い求めることに疲弊し、世間の関心は本質的にものを見つめる時代へ。その流れにロングライフデザインが組み合わさり、店はどんどん人気になった。
「最初は新品のものを紹介してたけど、過去に活躍したあり得ないほどの名品がリサイクルショップでグジャーっと出てきたから、それを引き取っては売ってをここ10年くらいやっています。でも、その名品たちは、あと2、3年で尽きるんです。そうなったときに、どうしようかなっていうのは、いまも考えてるんです」
世間の“ていねいな暮らし”に代表される、新しさだけを追求することへの疑問が浸透するに連れ、ロングライフデザインの価値は揺るぎないものになっていく。しかし、「もの」は広がれば広がるほど、人々の飽きを誘い、新しいはずだった「長く続くもの」の価値が薄れていった。
「それを持つことが当たり前になり、みんなの手元に行き渡った。つまり、うち(D&DEPARTMENT)の役目は終わった」
あっさりと、そして淡々と話すナガオカさん。それは、あたかも、来るべき未来を俯瞰しているようにもみえる。
「原資というか過去の名品が枯渇したときに、いよいよものを作る、もしくは全く作らないって時代に直面するのかなと考えています。これから僕たちはどっちに進むのか。ハッキリ言えるのは、これからのアウトプットは量より質の時代です」
スタイルじゃなく技術を継承することが本質的な価値なのではないか
ロングライフデザインの視点で刊行するトラベルガイドブック「d design travel」をはじめ、現在も地方のものに目を向けるナガオカさんは、それらの未来をこう予想する。
「極論は、衰退するものは衰退するし、必要なものはどうやったって長続きする。それに尽きる。たとえば、『これは人類にとって必要なものだ』って考えて、いろんな手段を使って延命させようとするじゃないですか。でも、そもそも、そのもの自体に生命力がなかったら、衰退していくでしょう。結局、それって幻想としての価値評価を付けて作り続けてるだけで、必要とされてないもの。だからそのスタイルじゃなくて、技術を継承するべきだと思います」
衰退するものは衰退する。それは、自然の摂理にかなうものかもしれない。
ナガオカさんにとっては”残す”ことへの人間の意志よりも”残った=人に求められ続けた”という結果の証明が、よりご自分の中に色濃く横たわっていることが聞き取れた。
「体にわるい添加物が入ってるから食べるなと言われても、インスタントラーメンは食べるでしょう。しかも、それって何十年も続いている。つまり、理屈をこねなくても生き延びているものって、基本、認められ続ける理由があるんです。逆に延命してまで残そうとするほうが、不自然で変だと思うんですよ。よく地方で『これ、どうしたらいいですか?』って質問されるけど、答えは、『どうなるんでしょうね』って。だって、どうなるかわからないですもんね」
ナガオカさんの穏やかな言葉尻から、決してその「どうなるんでしょうね」という言葉は相手を冷たく突き放した表現ではないことがわかる。
僕にも分からないし、あなたにも分からないのだとしたら。
時間が、時代が、証明してくれるとしたら、それまでに人間ができることは何だろうか。私たちができることは何か、ナガオカさんは冷静にその時間と人間とものの距離を測っているように見える。
自分の生きる場所を探し続けたナガオカさん。消費社会に翻弄されるも、地方に目を向け、新しいものの価値を創造し”デザイン”として再定義した。
自分の根底を見つめ直し、来るべき未来に立ち向かうメッセージのように。
kakite: Hiroyuki Funayose /Photo by Mika Hashimoto(提供画像除く)/Edit by Chihiro Unno
2017年12月、岐阜・多治見の「ギャルリももぐさ」
ナガオカケンメイ著/四六判変型(15.8×12cm)/
ナガオカケンメイ
1965年、北海道生まれ。
日本デザインセンター原デザイン研究室(現 研究所)を経て、
現在「D&DEPARTMENT PROJECT」は、
2009年より、
日本の47都道府県の「らしさ」を常設展示する、
「2013毎日デザイン賞」受賞。
主な著書に『ナガオカケンメイの考え』『
京都造形芸術大学教授、武蔵野美術大学客員教授。