アートの土壌を育む川のような在り方【NPO法人AITディレクター 塩見有子】

PLART編集部 2018.3.15
TOPICS

3月15日号

 

もしかしたらこれまでの私の歩みって川のようだったのかもしれない

そう振り返り、春風のように笑う人がいる。特定非営利活動法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト](以下、AIT)代表・ディレクターの塩見有子(しおみゆうこ 以下塩見さん)さんだ。

AITが始まったのは、現代アートがまだ日本に浸透していない18年前のこと。以来、現代アートの展覧会やプロジェクト、教育プログラムなどを運営し、アートにアクセスするための「プラットフォーム」を創出してきた。

日本の現代アート黎明期からアートの間口を広げ、関わる人を育て、最前線でアート界を牽引してきたAITディレクターの塩見さん。その活動の一端は、以前こちらの記事でもお伝えした。今回は川のようにおだやかで、でも凛と前を向く塩見さんの生き方や原点に迫った。アートとの出会い、これまでのキャリア、そして塩見さんが大切にしていることとは。

 

アートを変えよう、違った角度で見てみよう

塩見さんがディレクターを務めるAITは、「アートへのアクセシビリティを高める」ことを目的に、3つの柱を持って活動している1つは教育プログラム「MAD – Making Art Different」(以下、MAD)。2つめは、海外のアーティストやキュレーターを日本に招聘し、国内のアーティストやキュレーターを海外へ派遣するレジデンス・プログラム。そして3つめは、マネジメントやコンサルティングの領域。展覧会の企画・運営のほか、CSR活動としてアートを取り入れる企業のためのアドバイスなどにも取り組む。

なかでも設立当初から続いている事業が、MADだ。

MADの2018年度のパンフレット。デザインは古平正義さん。

今でこそ、全国各地でアートフェスティバルが開かれ、現代アートという言葉に対してイメージを抱くことができる人が増えてきた。例えば現代アートにあまりなじみがない人でも、「草間彌生さん」と聞けば「あぁ水玉の」と思い浮かぶように。

 

しかしMADが開講したのは2001年。当時、現代アートはまだほとんどの人にとって親しみのないものだった。そんな時代にあって、MADはオーディエンスとキュレーター、2つのコースで講座をスタートさせる。

作品に出会ってどう感じたか、それはどうしてか、その作品はどのような社会的・歴史的背景の上に成り立ってるか。あと大事なのは、今の自分や社会とどうつながっているか。作品や展覧会について考え、語り合える場が日本には不足している、これは必要なんじゃないかと思いました。キュレーションコースは、当時の日本ではキュレーションを専門的に学べる場所がほとんどなかったのでつくりました。そして、良い展覧会には、良いオーディエンスが必要です。そこでアートのことを批判的に見たり考えたりできる場をつくるために、オーディエンスコースも一緒につくりました。

アート界の土壌全体を育てるために、オーディエンスとキュレーターその二者が不可欠だと思ったから」

そうして始まったMADも今年で18年目。これまでに2,300人以上の受講生を輩出し、多くの修了生がアート界で活躍している。2つのコースから始まったMADも、現在はアートのパトローナージュ注1:支援、後援、賛助、奨励等の行為を考えたい人を対象にしたアート・パートナーズ」コースや、アートと福祉について考えるコースなど、間口を広げ社会の関心へ柔軟に対応しながら、プログラムの数やバリエーションを変化させてきた。

世の中の変化、という点では、ここ数年でアートやアートマネジメントについて学べる、非正規の教育機関(オルタナティヴ・スクール)が増えてきたというのも大きな変化だろう。いわばMADにとっては、ライバルが増えてきたような状況。そんな中、数十件のアートスクールの情報を集めた「オルタナティブ・アート・スクール・(チラシ)フェア」をAITはこの3月に企画。塩見さんは、アートスクール群雄割拠のこの状況をどのように見ているのだろう。


「ライバルではあるんですけど(笑)、アートシーン全体で見れば、アートを学べる場所が複数あって、異なる価値観でコンテンツを提供する状況が一番良いなと思っていて。それは学校に限らず、美術館やギャラリーも同じです。
それぞれのプレーヤーが持ち場を張って、自分の役割を果たしていく。ひとつひとつが高まると、アートシーン全体が高まりますよね」

塩見さんの実感として、オルタナティヴ・スクールだからこそできることがある。


私たちのスクールの名前はMAD(マッド)。“Making Art Different”の略です。日本語にするときには“アートを変えよう、違った角度で見てみよう”となるのですが、そこには、アートの領域を広げてみると、自分なりの新しいアートとの関わり方が生まれるじゃないか、という思いがあります。実験的で新しい価値をつくることにワクワクする、これこそオルタナティヴ・スクールにできることですね

 

「オルタナティヴ・アートスクール・(チラシ)フェア vol.0」の様子/AIT提供

海外で感じた「人」と「アート」の表現力

こうした塩見さんのオルタナティヴ・スクールへの思い。その原点には、もしかしたら幼少期の経験があるのかもしれない。

今の活動につながるようなエピソードを尋ねると、「私ね、これはひとつ自分で自覚していることがあって」その言葉とともに語られたのは、アメリカで過ごした幼少期のことだった。

「小さい頃に、父の仕事の関係で1年半ぐらいアメリカにいたことがあるんです。アメリカ、といっても、ニューヨークのような都会ではなく、ミズーリ州にあるカンザスシティって田舎の方。幼稚園に通っていた頃で、あまり記憶はないんですけど、そこで見聞きしたこと、感じたこと、人々の振る舞いについてはなんとなく体で覚えているの。

印象的だったのは彼らの表現力。入院していた病院で、手術する当日看護師さんが『手術はなし、退院できるようになったよ!』って、わーっと高揚しながら伝えてくれたんです。さらに退院して幼稚園に戻ったときに友達が、『有子おかえり!』って思いっきりハグしてくれて。話し方や言葉の抑揚、身振り手振り。彼らが私のことを自分のことのように喜んで、全身で伝えてくれたこと。その他者に想いを伝える感覚がずっと体に残っています


1年半の海外生活を経て日本に帰国する頃には、小学生になっていた塩見さん。帰国すると同時に、日本に対して
正体不明の違和感を感じるようになる。

小学生の頃、なんだか日本って変だな、何が変なんだろうとずっと考えていたんですよ。みんな一緒に『前〜ならえ!』をすることや、答えがひとつでないといけない感じに、馴染めないでいたんです。だから、いつかは日本以外の国をもう一回自分の目で確かめたいと思ってました

そうした日本の学校や社会への違和感は、オルタナティヴな学びの場への原動力となっているように感じる。ただその頃の塩見さんはまだ「アート」というキーワードを手に入れていなかった。

アートへの関心の芽生えは、「絶対に海外へ」その願いが実現した大学時代のこと。短期留学でイギリスへ滞在することになる。

「ロンドンに遊びにいったときに美術館をめぐったら、なんだこの世界は、とびっくりしたんです。いろんな人がその場所に訪れていて、みんなが楽しそうで。これは面白い世界があるぞ、というのが最初の印象でした」

そのときに観ていたのはモネの作品。「キラキラしてる」と感動しながらも、ふと感じたのは、「モネはもうこの世にいない」ということ。

どのような時代にモネは生き、なぜこの絵を描いたんだろう。そうしたことを、モネはもういないから直接聞けないなと思ったんです。でも今生きている芸術家だったら何を考えているか話せるなと。私も同じ時代に生きてるし、少しは状況がわかるかも。それが現代アートに興味を持ったきっかけでした」

 

人との出会いをつむいでいたら、ここへ流れ着いた

根底にある日本社会への違和感から、就職活動をして会社で働いて、という流れにやはり飛び込めないでいた塩見さん。「もっと広い世界があるはずだ」そんな思いから、大学卒業後にはイギリスのサザビーズインスティテュートオブアーツSOTHEBY’S INSTITUTE OF ARTに留学。現代美術ディプロマコースにて、レクチャーを受けるだけではなく、実際に現場に体を運び、アーティストやキュレーター、ギャラリスト、コレクターに触れ合うなど、幅広くアートの世界を経験した。

イギリス時代にインターンをしていたギャラリーで、和光清(わこうきよし 株式会社ワコウ・ワークス・オブ・アート 代表取締役)さんと出会ったことから、帰国後ギャラリー「ワコウ・ワークス・オブ・アートでアルバイトをする。
その後、アートに関してより幅広い経験を積みたい、と門を叩いたのが、キュレーションからパブリック・アート、企業との仕事までを手掛けていた南條史生(なんじょうふみお キュレーター/森美術館館長/ディレクター 以下南條さん)さんの事務所「ナンジョウ・アンド・アソシエイツ」(以下、南條事務所)だった。南條さんとも、留学時代にヴェネツィア・ビエンナーレを訪れた際に出会っていたそうだ。

塩見さんのお話を聞いていると、人との出会いやサポートしてくれる縁からキャリアをつむいでいっているように感じられる。「アートで身を立てていこう、と決めたタイミングはありますか?」との質問に、少し考えてから、「私ね、ないかも」と答える。

「20代半ばから特に独身だった頃は国内も海外もいろんな美術館やアート・スペースに行って仕事やプライベートでアートを見まくりました。人に会って話を聞き、山ほど作品を見て、また話す。そういうことがずっと面白かったから。面白いことをやっていたらここに流れ着いた。川のようだったのかな」

やわらかな表情で話す。

一方で、「でも、時にサーフィンのように波乗りすることにも意識的でした。AITをやろうと決めたときは、ひとつ小さな波に乗ってみよう、乗りこなせるかためしてみよう、という気持ちでした」と前を向く。

AITの設立メンバー。左から、塩見有子、中森康文、ロジャー・マクドナルド、宮原洋子、小澤慶介、住友文彦 /AIT提供

南條事務所で働いていた頃に、AIT副ディレクターであるロジャー・マクドナルドさんをはじめ、キュレーター、コーディネーター、マネージャー、少しずつ職能の違う仲間が6人集まり、“現代アートの東京におけるプラットフォームをつくろう”とAITをスタートさせた。近年、話題となっている「コレクティブ」のさきがけともいえる。

南條事務所の図書室兼会議室を、「人が使わない時間に使っていいよ」と南條さんに言われ、夜間の学校として開いたのがMADの始まりだ。最初は受講生も30人くらいだったという。

MADの受講生が蔵を改装しその家をレジデンスとして提供してくれたり、またあるときは受講生がAITのスタッフになったり。仲間がいて、サポートしてくれる人たちがいて、そしてまた少しずつ仲間が増えて、そうしてここまで歩んできた。

これまでにないものの仕組みをつくることが面白くて。学校をみんなでつくるとか、レジデンスも東京に数が少なかったからつくろう、とか。そういうことがモチベーションでした。今も場づくりや仕組みづくりへの関心を持ち続けながらいる感じです」

これまでにない学びをずっと創り続けてきたMAD。学びの幅も年々広がっている。

 

アートは能動的な学びのツール

アートと教育を大きな柱として活動してきたAIT。その新しい取り組みとして、2017年から始めたのが「dear Me(ディアミー)プロジェクト」だ。きっかけは、児童養護施設でボランティアをするAITのスタッフの、アートを通じてこうした子どもたちと支援者をつなげたいという思い。社会的養護が必要な子どもをはじめ、様々な環境下にある子ども達に向けて、実験的な鑑賞ワークショップや国内外のアーティストと遊びや創造の場づくりを実施している。

「dear Me」プロジェクトより:川村亘平斎とAFRAによる、二葉むさしが丘学園の子どもたちとつくる影絵と音楽のワークショップ+パフォーマンス「二葉天狗とおおぐい海獣(2018年)」Photo by Yukiko Koshima

「児童養護施設などにいる子どもたちや複雑な環境に置かれた子どもたちの様子は社会に知られていない状況があります。守られているからこそ、その存在が見えづらい。でも子どもたちは人一人豊かな表現力があり、美術館に行ったりアーティストに出会うことで世界の広がりを感じ取ることがあるかもしれないですよね」

アートには心を癒やす、新しい視点を与える、など様々なツールがあるが、そのひとつとして学びのツールがある、と塩見さんは考える。
アートを通して、自分や社会、そして他者を学ぶことができる。1つの作品には、社会背景やアーティストの想いがあって、そのような裏側にある『なにか』を探ることで、私たちはそこから能動的に自分の考えを引き出したり、知識を得たりすることができる。そうしたアートが持つ生きていくための動力のようなものを、これまであまりアクセスできなかった環境に対してもアクションできるのではないかなというのが私の思いです」 

活動3年目の2018年度は、dear Meプロジェクトの一貫として、講座「子どもとフクシとアートのラボ」がMADで開講される。講師として名前が並ぶのは、アーティスト、小説家、精神科医や人権団体の代表など。きっと様々な議論が巻き起こるだろう。議論がどのような方向に進んでいくかはまだわからない。でも問い続けていくことこそがアートだと塩見さんは考えている。

 

パーソナルな関係のなかで生まれること

目の前のことを楽しみ、人との縁からプロジェクトとキャリアを育んできた塩見さん。

これまで積み上げてきた「現代アートを批判的に見て議論して、場をつくっていくということ」を次の世代へ残すことや、音声メディアを通して、学びをより幅広い層へ伝えることにも挑戦中だ。

「“AIT Podcast“というのが立ち上がっていて。AITやMADでの学びをもっとパブリックにしていこうということを考えています。それからAITとモロッコのアートスペースをつないで、“RADIO RABA TOKYO“というラジオにも挑戦しました」

実はモロッコのアートスペースのディレクターは、以前AITでレジデンスに招いた人だという。お互いに顔を合わせて同じときを過ごしたので、次に仕事をするときもスムーズだ。
小さな組織でパーソナルな関係のなかでいろんなことが生まれることも多いんです。過去に関わりがあった人とも、もう一回仕事がしたい、と、つながり直すこともあって。やっぱり人、ね。人とのつながりや信頼、そして熱意でいろんなことが進んでいます。ベーシックだけど、一番大事なことかな」

 

冒頭で塩見さんのこれまでの歩みを川のようだと例えた。でも決して塩見さんは流されてきたわけではない。たゆまずよどまず。目の前の人との出会いを大切に、川を渡ってきたのだ。そうして渡ってきた川に流れる水は、土に染み渡り、栄養となって種を育み、アートの土壌を豊かにしている。

kakite : Naco Fukui /Photo by 倉持真純(提供、クレジットがあるものを除く)/Edit by Unno Chihiro


塩見有子/Yuko shiomi

学習院大学法学部政治学科卒業後、イギリスのサザビーズインスティテュートオブアーツにて現代美術ディプロマコースを修了。帰国後、ナンジョウアンドアソシエイツにて国内外の展覧会やアート・プロジェクトのコーディネート、コーポレートアートのコンサルタント、マネジメントを担当。2002年、仲間と共にNPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]を立ち上げ、代表に就任。AITでは、アーティストやキュレーター、ライターのためのレジデンス・プログラムや現代アートの教育プログラムMADを始動させたほか、メルセデス・ベンツやマネックス証券、ドイツ銀行、日産自動車などの企業との連携事業を含む、企画やマネジメント、運営を行う。2017年は、アウトサイダー・アートと現代アートの展覧会を初めて共同キュレーションした。そのほか、審査員、美術館やプロジェクトのアドバイザーなどを務める。

 

取材フォトギャラリー



FACKBOOK PAGE LIKE!
ART
×

PEOPLE

ヒト、アーティスト

PLACE

場、空間

THING

モノ、コト