アーティストと共有・共存する時間【TARO NASU オーナー 那須太郎】

PLART編集部 2017.11.15
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11月15日号

 

岡山の人は熱心な文化人が多い印象がある。

西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである「大原美術館」を設立した大原財閥の大原孫三郎さん、そしてその長男である大原総一郎さん。

瀬戸内国際芸術祭の総合プロデューサーを務めるベネッセコーポレーション福武總一郎さんはアートの知識がない人でも一度は聞いたことのある名前だろう。

「所属作家や契約作家と共に成長するのが、アートギャラリーです。ギャラリーというスペースをベースに、プロモーションや販売をしながら、作家と一緒にキャリアを作っていくのが仕事です」

そう話す那須太郎さんもまた、岡山県出身。

1998年に佐賀町で自身のギャラリー「TARO NASU」を開廊して以来、ギャラリストとして日本の現代美術業界を牽引してきた。2003年に六本木へ移転し、現在の馬喰町には2008年に越してきた。

取材時はアレッサンドロ・ラホの個展「Jessica」が開催されていた。

“Jessica”, 2012 ©Alessandro Raho Courtesy of TARO NASU

地上1階と地下1階の2フロア。白を基調としたシンプルなデザインは、建築家・青木淳さんによるものだ。

ギャラリーの奥からスーツを着こなした那須さんが颯爽と現れた。

 

「わからないから面白い」コンセプチュアルアートとの出会い

“Woburn”, 2005 ©Alessandro Raho Courtesy of TARO NASU

那須さんのギャラリーでは、コンセプチュアルアートと、日本の現代写真を中心に、ピエール・ユイグやホンマタカシなど、今のアートシーンを担うアーティスト達が契約を結んでいる。

海外の第一線で活躍しているコンセプチュアルアートのミドルクラスの人たちは、ペインターに比べて、日本で紹介される機会が少ない。その点を埋めるように「TARO NASU」では、このクラスのコンセプチュアルアートをメインに扱う。

そのきっかけは、とあるイギリスの若手アーティストとの出会いによる。

「17年ほど前になりますが、世界最大のアートフェアである『アート・バーゼル』のサテライトフェアに出展した際、隣のブースでイギリスの若手アーティスト、ライアン・ガンダーの作品が紹介されていて、『これは一体なんだろう?』と思いました」

——わからないほうが面白い。

那須さんなりのコンセプチュアルアートの面白さを再認識した瞬間だった。

「さまざまなジャンルがある現代美術のうちでも、コンセプチュアルアートは特に、“現代美術らしい“もの。難しい、理解できない、とよく言われますが、わからないから面白いのです」

今、ライアン・ガンダーは、ギャラリー「TARO NASU」の契約作家に名を連ねている。

“Consistent and inconsistent thinking”, 2016 ©Ryan Gander Courtesy of TARO NASU

アーティストと一緒に働きたくて踏み込んだ、現代美術業界

那須さんは子どもの頃、「切手収集」という方法で美術に親しんでいた。

「絵を描く、写真を撮るなど、自分で創るということはやっていませんでしたが、観るのはとても好きでした。切手には、ヨーロッパや日本の名画が印刷されています。記念切手はなんでも買っていて、特に浮世絵が好きでした」

「近代美術館などに行ったときは、高橋由一の«鮭»や、菱川師宣の«見返り美人»など、切手を通して見知っている作品がたくさんあるわけです。当時、そんなつもりはありませんでしたが、切手集めが美術への関心のきっかけになっていたのかもしれませんね」

大学進学前、友人に誘われて行った20世紀を代表するスイスの画家、パウル・クレーの展覧会がきっかけになり、東京での大学生生活では美術館へよく出向くようになった。その頃の那須さんは美術が好きで、主に近代絵画を見て回ったそうだ。

大学卒業後は、地元岡山の百貨店の美術部へ就職。これが、那須さんが美術界に足を踏み入れた最初の一歩となった。と同時に、それまでは、さほど興味のなかった現代美術の道へ進む分岐点にもなった。

百貨店内には、3つの展示スペースがあり、月に8本程度の展覧会を開催する。洋画や日本画はもちろん、書、陶芸、刀剣など、取扱いジャンルはかなり幅広い。

「一通り知識がないと、なにも話せないし、なにも仕事ができません。『これをやりたい!』と強く思って入った部署でもなく、目まぐるしい生活でしたが、振り返ってみると、現代美術を扱う今のベースとして、役に立ってますね」

百貨店の画廊は、基本的にはアーティストは不在だ。それでも数多くの展覧会をこなすうちに、数名の陶芸家と会う機会にも恵まれた。

「岡山は備前焼があるので、時々、陶芸のアーティストと話をしました。作り手の考えに触れ、彼らと仕事をするのが面白いと感じ、そのうちに、今、生きているアーティストと一緒に仕事をしたいと思うようになりました。現代美術に触れられる場所で働きたい、と思っていた矢先、たまたま知人から『西村画廊の求人がでていたよ』と連絡がありました。西村画廊の名前は舟越桂さん(※)がコム・デ・ギャルソンで行った展覧会を見たことがあったので、知っていました」

(※)舟越桂(ふなこし かつら)・・・日本の彫刻家、岩手県盛岡市出身。

 

そして、西村画廊で働くことになり再度、上京。

入ってすぐに、デイヴィッド・ホックニー(※)の巡回展を任された。『ホックニーのオペラ展』と題されたその展覧会は、1992年6月に東京からスタートし、札幌、広島、兵庫……と、1年半ほどかけて、全国6箇所を回る、大きな仕事だった。

「もちろんギャラリーの仕事がメインなので、東京と各地の会場を行き来しながら進めました。ホックニーのアシスタント達も一緒で世界で活躍する一流のアーティストと仕事することが大変、刺激的でした」

これまでを振り返り「周りに伏線があって、じわじわと今の方向に寄ってきたように思います」と那須さんは語る。思えば、同じ岡山県出身であるインテリアデザイン会社 ワンダーウォール代表の片山正通さんとの出会いも、その一端だった。

(※)デイヴィッド・ホックニー・・・イギリスの芸術家。1960年代よりポップアート運動にも参加し大きな影響を与え、イギリスの20世紀の現代芸術を代表する1人である。(wikipediaより引用)

アーティスト主体で創り上げた地元・岡山の国際展覧会

“The Bahamas”, 2007 ©Alessandro Raho Courtesy of TARO NASU

現在、那須さんが取り組んでいるプロジェクトのひとつに「岡山芸術交流」という大型国際展覧会がある。

その前身となる「imagineering OKAYAMA ART PROJECT(2014)」は、片山さんと、同じく岡山県出身のストライプインターナショナル代表取締役社長・石川康晴さんと取り組んだアートプロジェクトだ。

アートプロジェクトを手がけるまでになったつながりは、片山さんからの1本の電話に始まる

「私が海外出張をしているときに画廊までご連絡をいただいたのです。片山さんが手がけられたショールームに、うちで扱っているアーティストの作品を飾りたい、という相談を頂きました。その頃の片山さんは、既にかなり有名な方で『同じ岡山県出身で、その上、同じ年生まれで活躍されていて……いつか会ってみたいな』と思っていましたが、まさか、その方から連絡が来るとは思いもしませんでした」

また石川さんとの出会いは、片山さんからの紹介による。片山さんがデザインしたショップのレセプションパーティーだった。

これがきっかけになり、石川さんの初めてのアートコレクションの購入に立ち会うことになる。

それは、河原温(※)«デイト・ペインティング»

国内コレクターが所蔵していた、世界的なアーティスト河原温による12枚組の作品が売りに出されることになった。そこで、石川さんのために、ギャラリーを1日クローズにし、その日だけの特別展示を行った。それが「石川コレクション」の初めての作品になった。その後、那須さんは石川コレクションのアドバイザリーを担当することとなり、2016年、総合プロデューサーとして、石川さん総合ディレクターとして那須さんが就任し、「岡山芸術交流」が開催された。

(※)河原温(かわら おん)・・・日本出身の芸術家。コンセプチュアル・アートの第一人者として国際的にきわめて高い評価を受けており、日本出身の現代美術家のなかで世界的にもっとも著名な1人。(wikipediaより引用)

© Okayama Art Summit 2016 / Photo: Yasushi Ichikawa

「imagineeringは3人でやりましたが、残念ながら岡山芸術交流では、片山さんは忙しくてご一緒できませんでした」

準備期間1年のうちに、岡山城周辺の会場で展示する31組のアーティストを、世界16カ国から集めた。

「岡山芸術交流の特徴は、キュレーターではなくアーティストのディレクターがいるという点です。アーティスティックディレクターには、コンセプチュアル・アーティストのリアム・ギリック氏を迎えました。展覧会のテーマだった『開発』は、彼に決めてもらったものです」

© Okayama Art Summit 2016 / Photo: Yasushi Ichikawa

テーマだけではなく、展覧会の内容や出展作家、方向性の決定も、アーティストに依頼したという。大型国際展が世界中で乱立する今、新しくトリエンナーレ形式の国際展を企画するのであれば、そこには個性が必要だ。キュレイターではなく、アーティストが企画する展覧会にしたら、個性が主張できるのではないか、という那須さんの考えだ。

「私たちは、“アーティストファースト”でやりたいとずっと言ってきました。それを今回実現できたのは大きかったですね。いつも国際展に出ているアーティストがディレクターになれば、アーティストの立場で考えてくれるので、不安不満を改善できます。参加アーティストに満足してもらえたと思います」

那須さんが「アーティストと一緒にいる時間が本当に楽しい」と言われるのは、アーティストと一緒にシーンを創ってくのが本当に好きだからなのだろう。

2016年10月から11月下旬まで開催された芸術祭は、目標17万人のところ23万人が来場し大成功を収めた。2019年秋には次回の開催も決定しており、今回のアーティスティックディレクターは、前回展で3作品を出品したフランスのアーティスト、ピエール・ユイグ氏を迎える。

 

那須さんが掲げる、次のステップとは?

90年代に比べて、日本のあちこちで、岡山芸術交流のような地域の芸術祭が行われるようになった。アートシーンは、どのように変化しているのか。

「私や同じ年代の人達がギャラリーを開いたときは、閉塞している日本の現代美術業界を何とかしないといけない、という思いがありました。みんな、海外と同じ水準のギャラリーを作ることに必死でしたね。20年ほど経ち今では、海外に比べてまだ小さい市場ながらもある程度浸透してきました。

でも私達より若い年代のギャラリストは大勢いますが、いまひとつ”命題”が見えない状況なのでは、と思います。私達と同じことをしてもしょうがないですから。ブレイクスルーが欲しいところではありますよね」

では、那須さん自身の次のステップはなんだろう。

ひとおこしです。次の岡山芸術交流のメインターゲットは、子どもたちです。

現代美術の表現を、子どもたちに、もっともっと楽しんでもらいたいです。大人は、自分の世界をもう確立していて、わからないものに対する拒否反応がありますが、それに対して子どもたちは、現代美術を素直に受け入れてくれています」

「もともと彼らにとって、世界は、わからないことだらけです。知らないのが当たり前の子どもたちのために、現代美術に親しんでもらう架橋を作れば、大人になっても素直に美術に親しめる環境にできると思います」

那須さんが整えた環境から、未来のアーティストが生まれる可能性は十分にある。それが岡山出身だとしたら、県内で、新しいアートシーンが創り出されていくかもしれない。

私たちは、同じ時間を共有しながらも、それぞれが違う年代を生き、近しい未来を見ながら進んでいる。見えている未来はそれぞれ違っていても、那須さんが少しずつ美術に引き寄せられていったように、私たちが見る未来の美術界は、もっと活発なものになっているだろう。

那須さんとアーティストたちによって創り出される次の世界はどんなものなのか。

2019年の岡山芸術交流がとても楽しみだ。

 

kakite : 松本麻美/photo by 橋本美花/ EDIT by 柿内奈緒美


那須 太郎/Taro Nasu

1966年岡山市生まれ。早稲田大学卒業。天満屋美術部勤務を経て、1998年東京都江東区に現代美術画廊TARO NASUを開廊。

2008年に千代田区へ移転、現在に至る。著名な現代美術作家の展覧会を通じて美術の普及に努める。

国内外の美術館等の公共機関との協働多数。

2014年に行われた「Imagineering OKAYAMA ART PROJECT」ではアドバイザリーとして、作品の選定、展示などを手掛けた。2016年秋開催の「岡山芸術交流 2016」及び、2019年に開催予定の「岡山芸術交流 2019」の総合ディレクターを務める。

 

取材フォトギャラリー

“The Bahamas”, 2007 ©Alessandro Raho Courtesy of TARO NASU

“Woburn”, 2005 ©Alessandro Raho Courtesy of TARO NASU

“Jessica”, 2012 ©Alessandro Raho Courtesy of TARO NASU

“Woburn”, 2005 ©Alessandro Raho Courtesy of TARO NASU



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