アーティストだから出来る事で、街の場所を作りたい【混流温泉株式会社 代表 戸井田雄】

PLART編集部 2017.12.15
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12月15日号

 

東京から電車で南下して1時間半。

静岡県の最東に、熱海市がある。市内に通る道のほとんどは勾配があり、温泉地の名に違わず所々からは温泉の湯気が立ち上る街だ。昭和の頃には人気の観光地として賑わいを見せたが、1991年のピークを堺に、宿泊数は減少の一途を辿っていた。“衰退した観光地”というイメージを持つ人も多いかもしれない。

しかし、その熱海が近年、人気を取り戻している。街には高齢者から若者まで様々な年齢の人が行き交い、レトロな雰囲気といまどきの雰囲気の建物が混在している様子を楽しんでいるようだ。

今回お話を伺ったのは、この新旧混り合う熱海で、アートイベント「混流温泉文化祭」の運営や街づくりに関わる、現代アーティストでもあり、混流温泉株式会社の代表、戸井田雄(といだゆう 以下、戸井田さん)さんだ。

 

3つの温泉地を、アートを介して交流させる

混流温泉文化祭とは、2013年に熱海で活動を開始したアートプロジェクトのこと。2014年3月には新潟と別府、そして熱海の3箇所で活動していたアーティストが参加した展覧会を実施している。

まず始めに、混流温泉文化祭を始めたきっかけを伺った。

「熱海に来る前は『水と土の芸術祭』というアートイベントで、新潟県の岩室温泉で制作してました。これまで、いくつか地域型のアートイベントをまわって作品を創りましたが、アートそのものが話題になることは少ない。それで“街づくりとアート”って見た目はすごくきれいだけど、本当にまちづくりになっているのか、疑問に思うようになっていました。

そんな経験をしてきて熱海に住み始めた頃、岩室温泉にいた同級生の知人と何かやろうと話をして、アートでの地域の活性化はまだ無理かもしれないけど、交流ならできるかも、と立ち上がったのが始まりです」

混流温泉文化祭イメージ

街づくりにアートを持ち込んだイベントは、2000年に行われた「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の成功を見て日本各地に急激に増えていった経緯がある。戸井田さんは、その流れのなかで、アートが本当に地域の活性につながっているのか疑問を感じていた。

そんななか生まれた、地域と地域同士を結ぶアートイベントというアイディア。温泉地とアートという2つのキーワードで活発だった「BEPPU PROJECT」(大分県別府市)の清島アパートの作家も交えて実施し、名前には“温泉地が混ざって流れて”という意味を込めた。

「アーティストとして身軽に活動したいという思いもあり、混ざり終わったら自由に流れてもいいよねって、かなり身勝手な名前でした(笑)」

 

気づかれていない、見えていない価値を見えるように

今では、街づくりに深く関わっている戸井田さんだが、かつては「俺はアーティストだし、街づくりのために来たわけじゃない。交流はするけどメインは作品」と思っていたという。 どんな心境の変化があったのだろう? 

戸井田さんは、武蔵野美術大学 建築学科出身。

建築学科に入学するも、時間と空間をテーマにアート作品を創ることになったのは、武蔵野美術大学の建築学科にただ一人在籍していた現代アートの客員教授の存在だ。

「小学生の時、ビーバーの巣(※1)がすごく好きで、椋鳩十(むくはとじゅう。※2)の小説を読んでいました。それが建築科に進んだきっかけだと思います。大学に入ってから会った土屋公雄先生には空間と場所にこだわれ、と強く言われました。試行錯誤しながら制作していくうちに場所の考え方がわからなくなって。そもそも、場所はいつから『場所』と定義されるのか?と考えたんです」

※1 ビーバーの巣・・・水辺の木を齧り倒し、泥や枯枝などとともに材料として、川を横断する形に組み上げ、大規模なダムの中に巣をつくる。

※2 椋鳩十・・・日本の小説家、児童文学作家、鹿児島県立図書館長、教員。動物にまつわる作品を多数執筆。

「地球は、もともと小さい岩ですよね。それは場所って言えるのかな、とか。岩がどんどん大きくなって、気候の変化などで地形が変わった結果に場所ができたのなら、場所は時間の積み重ねで生まれてくるもの。時間と場所ってイコールなんじゃないかって思いました

それから一貫して「時間」と「空間」をテーマに制作してきた。

卒業制作は地面を掘って地層を見せた、記憶を形にするという作品だった。

すべての作品を俯瞰してみると、いずれもその場の文脈を汲み、場所性を大切にして制作されている。

制作過程で何かが否定されるのがとても嫌いだった」と戸井田さんは言う。

『地域には何もない。空き店舗くらいしかない』と言われて、店が使われた痕跡が見えるようにした。水と土というなら地下水だ、と地層と地下水を見えるように穴を掘り、『空き地で何も無い』と言われると、雑草に焦点が当たるように作品を創った。

いるのに気づかれないとか、あるのに目に入っていないものに対して敏感なんです。なんだか同情を感じてしまって….。価値がないと言われている建物に対して何かアクションをする、リノベーションにいま携わっているのは、自然な流れのように思います」

根底 / Roots(2012)

 

街を想う人たちとの出会い、情景の心地よさ。

今回、取材でインタビューしたのは、「ゲストハウス マルヤ」という宿泊所の一角。商店街に位置し、車と人通りも盛んだ。目の前の道からは、熱海港が見え、とても開けている。

マルヤの運営は、株式会社machimoriが行っている。

machimoriの代表は、戸井田さんと共に街づくりを行う市来広一郎(いちき こういちろう 以下、市来さん)さんが務めている。そもそも、横須賀出身の戸井田さんが熱海に来たのは、市来さんがきっかけだったという。

「市来さんに会ったのは、2011年頃だったと思います。地域でアート活動をしている人間として、自分を紹介してくれた人が繋いでくれたのが、市来さんでした。その後すぐには特に連絡を取っていませんでしたが、市来さんはワークショップなど事あるごとに声をかけてくれていました」

その間には、東京の家を引き払って「水と土の芸術祭」参加のために新潟へ移動するなど、戸井田さんにも変化があった。展示が終わって次に住む場所を考えたときにふと思い浮かんだのが市来さんの顔だった。

「それとなく市来さんに熱海で住むのに、いい所ありますか?と聞いてみたら、4DKガレージ付きで35000円の物件を紹介してくれて、『これで良いか!』って(笑)」

そうして住みはじめた熱海。街の雰囲気は好きだった。

「生まれ育った横須賀と環境がなんとなく近いんですよね。東側が海で山が迫り出していて。横須賀、熱海、長崎、尾道は、共通して好きなひとが多いみたいですね。あ、温泉に300円で入れるとこも魅力的でした(笑)」

混流温泉芸術祭会場の会場となったビルのオーナー・小倉さんとの出会いによって熱海がよりいっそう好きになった。

「飲みの席だったんですけど、小倉さんは酔っていて、アートの役割で街の魅力を発見する話になったときに『ばかいうな、地元のことは地元の人間がよくわかってるんだよ』と。街のことを真剣に想ってる人いる場所っていいな、人との距離が近いのがいいなって思ったんです。距離感を詰めてくれる人ってなかなか少ないし、そこまでの関係になるまで時間がかかるんです」

 

街づくりには、表現したい事がある人があつまっている

中心市街地活性化のためのクラフト&ファーマーズマーケット「海辺のあたみマルシェ」(2ヶ月に1回開催)や、遊休物件と起業家をつないで街の活性化につなげる「熱海リノベーションまちづくり」……。街のプレイヤーに出会う場にいると、様々なタイプ、様々な年代の人と関わることが多い。

「既成の枠組みに囚われず、どうしても実現したいことに向けて動いている人がすごく多い事に気づかせてもらいました。例えば、公務員という立場でを超えて、事業的な視点で街の人と一緒に熱海を変えようとしていたりとか」

ビジネスを表現手段としているだけで、多くのアーティストと同じようなテーマを持つ人がいる。そのことに触れ、「自分で勝手に『アート』という境目をつくっていただけかも」と感じた戸井田さんは、境目をなくして人を見るよう意識し始めた。

「どうしても伝えたい自分の理想のために活動しているっていう点でいうと、表現する媒体が違うだけでアーティストではなくてもアーティストに近いのかもしれない、と思いました。自分が“アート”からちょっと外れてもいいかなぁと思えたのは、そういう人達に会えたからっていうのはすごくありますね」

話を伺ううちに、潮風を波間を漂う、熱海港のカモメのような人だと感じた。流れにのって、身の回りのことを吸収しながら生きていく―。

今後、アートでの街おこしは可能だろうか、現在の考えを伺ったところ、「活性化できるかできないかって言ったら、できる可能性はすごくあると思ってます」と答えてくれた。続けて「アートでないとできないこともある程度あるし、でもアートプロジェクトをやったからって活性化するっていうものでもありません」と言葉をつなぐ。

「作家同士で、『アートはふりかければ美味しくなる魔法の粉ではない』と話したことがあります。アートが『出来る事』と『出来ない事』をしっかりと分けて、目的を持って適材適所でアートを扱わないと、地域の活性化はアートだけじゃ無理だよねって」

 

いろんな価値観に対して寛容な場所が作れる街

これからの戸井田さん自身や街の理想は、”寛容”であること。

昔は排他的で、アートはインスタレーションが一番面白いし、それも場所性が前面にでてないと、と思っていたという。

「自分がアーティスト1本で生きてた時は、結構ギスギスしてました(笑)今は、アーティストという立場を100%解ってもらおうとは思わなくて、理解できなくても、嫌わないで一歩引いて受け入れてくれる街とか、多様な価値観を受け入れてくれるような場所をつくりたいと思っています。活動していくなかで視野も広がってきたし、そうした方が自分自身も楽しい。熱海には熱くて面白い人が多いので、ここならいろんな価値観に対して寛容な場所が作れると思ってます」

熱海の街には、ある一つの風習がある。それは、御鳳輦(ごほうれん)という厄払いの行事のひとつだ。厄年の42歳に向けて、その2年前、40歳から熱海に住む男性が一堂に会する。

「御鳳輦で地域コミュニティがもう一度、作られます。そうすると、何かプロジェクトをやるときでも話が通りやすくなります。コミュニティが作られて人の距離が近い場所、というので熱海を選んだ感覚は間違いじゃなかったと思いますね」

戸井田さんは、つい最近、神奈川県川崎市との二拠点を解消し、本格的に熱海の人になった。活動は今後も広く深くなっていくのだろう。

「ワードでチラシつくっている人もいるし、シャッターが下りたままのお店も残ってます。アーティストの僕らだからこそ、出来ることがまだまだあります。モノを創り出す手とまだ価値が認めらえれてない『余白』を見つける目は、まだ持っているつもりです

「熱海の歴史・文化は独特で面白いです。文豪にゆかりのある起雲閣もあるし、音楽のリズムにのってトイレのドアをノックしなければならないジャズ喫茶もある。素材が豊かに溢れてます。街中にはアーティストだけでなくてデザイナーとか他のクリエイターが関われる余白がたくさんあるような気がしているので、街の人に話を聞きながら魅力的なコンテンツを集めて発信していけたら、と思っています」

 

最後に・・・

取材の日、熱海の未来を官民・熱海内外の境を越えて考える「ATAMI会議2030」が開催された。毎回テーマを設け、先駆者のトークと熱海での実践者のプレゼンテーション、オーディエンスとのディスカッションという形式で、2030年の熱海に向けて語り合う。今回のテーマは「アートと人と街と」だ。

会場は、コワーキングスペース&シェアオフィス「naedoko」

この会場で実践者として、戸井田さんは自身の活動についてプレゼンをした。

生まれ故郷でない熱海の街を、縁に導かれ、人に出会い、好きになった。

アーティストの自分だから出来る事を、未来の熱海へ向けて実践していくのだと。

私たちに話してくれた事を、より多くの人に届ける為、熱く語った。

戸井田さんを熱海へ導いてくれた人たちと同じように、街を想う1人の人として私の目には映った。

 

kakite : Asami Matsumoto & Naomi Kakiuchi(最後に…の部分)/ photo by Yuba Hayashi / Edit by Naomi Kakiuchi


戸井田 雄/Yu Toida

美術作家/株式会社混流温泉 代表取締役/株式会社machimori 取締役/海辺のあたみマルシェ 事務局長/武蔵野美術大学建築学科 非常勤講師。

静岡県熱海市在住。1983年神奈川県横須賀生まれ。2008年武蔵野美術大学大学院建築コース修了。現代美術の作家として「あいちトリエンナーレ2010」「水と土の芸術祭2012」などに参加する中で、アートと地域の関係に興味を持ち、2012年に熱海に移住。2013年に「混流温泉文化祭」を開催し、2014年に開催した第2回混流温泉文化祭「in passage」のトークイベントをきかっけに、まちづくりにも深く関わり、(株)machimoriの取締役として熱海のリノベーションまちづくり事業の企画・運営・施工に従事する。

社会起業家のスタートアッププログラム「SUSANOO」などに関わる中で、地域でのアートプロジェクトの事業化を目指し、2016年に混流温泉(株)を設立、代表取締役として芸術性・地域性・事業性の「ちょうど良い加減」の模索を続ける。2018年春に、熱海の海辺にシェアアトリエ「Nagisa-Ura」をオープン予定。

 

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