【連載】僕らのアート時代 vol.4「『オリジナル』である私を形作る要素」アーティスト 吉田未空
3月15日号
僕らのアート時代とは?
アートは「人の表現」です。人の表現を認めることは人との違いを楽しむこと。
お互いの違いを認め合うこと。そして、それぞれに自分の人生を楽しむこと。きっとここから、新しい時代がはじまります。
人の表現は「今しか」生まれません。今を生きる私たちがその表現に鎖をしめていて、次の世代に何を残せるのでしょうか。
PLARTは”時代の表現”を集めて、編んで、届けます。
連載・僕らのアート時代では、今を生きる表現者たちがここからの時代の流れを示してくれると願い、若いアーティストにフォーカスを当てます。
神奈川県にある相模大野駅からバスで揺られること約20分。郊外ならではの、どこか取り残された異空間のような場所にバスはキュッとブレーキ音を立てて停車する。自然の香りが漂うそこは、女子美術大学。校門を抜けてしばらく待つと、鮮やかな赤いワンピースの女性がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
アーティスト・吉田未空(よしだみくう。以下、未空さん)、24歳。
人形作家の父と、元舞台女優の母との間に長女として生を受けた未空さん。
「わたしが小学校1年生のとき、学校の夏休みの宿題であやつり人形を作ったんです。針金に紙粘土を固めて人形を。それが初めて父親と一緒に何かを作った記憶です」
自分を模したひょろりとしたフォルムの人形だ。
幼少の頃から、創ることが日常にあったかと尋ねると、
「特に何かを作ることが好きとかはなかったですが、父親の元に人形が多くて、というのは当たり前のことですが、じつは母が人形の収集癖のある人で。今思えば自分では意識してこなかったけれどずっと人形に囲まれて生きてきたことにはなりますね」
「小学校3年生になった頃に両親は離婚していたので、その後は父親と密接に関わるようなことは減りました。母親と暮らすことになって、父親とは時々、会う程度。それに、学生時代から絵を積極的に描いてきたわけでもないです。高校時代の選択授業も、美術より音楽を選んでいたくらいでしたから。でも、ふと進路のことを考えたときに疑問が湧いてきて。『このまま一般の大学に進むのってどうなんだろう?』と……そこで、興味があった美大を目指すようになりました。高校2年の冬でした」
少しつづ変化してきた想いと作品。
美大や芸大を志望する多くの学生が早くから美大専門の予備校に通う話をよく耳にするからか、「美大目指すにしては、ずいぶん遅いですよね」とカラカラと笑いながら続けた。そして、1年ほどの受験勉強期間を経て、現役合格を果たす。
「現役といっても、いろいろな美大を受けてもここしか受からなかったから来たって感じなんです。受験の準備を始めるのも遅かったし、美術大学の雰囲気に慣れるのに時間がかかりました」
その中でも、表現形式に対する干渉が少ない専攻であると聞いて「洋画専攻」に入学をした。
「大学に入学して授業で技術を学んでいって、絵を描くのは楽しいって感じてました。自分の感覚をそのまま画面に表現したくて抽象画を描いていました。 でも、コンセプチュアルな表現にも興味を持ち始めていて、そもそも、アートや美術って何なんだろうって感じていて。でもとにかくとりあえず描く…当時はそんな感じでした」
「他のアーティストのワークショップのスタッフとして関わったり、先生やアーティストの方々との出会いの中で、想いも、作品も、だんだん変わっていったんですよ。それで、自分の日常を見つめ直そうと考えていたある日、校内で鳩がガラスにぶつかって飛べなくなっているのを見つけたんです。今までだったら『かわいそうだな』ぐらいで気に止めなかったと思うんですけど、どこか引っかかって作品にしたこともありました」
周囲の状況や情景に対して、意識が働くようになったのを感じたのは、ちょうどこのあたりからだという。大学院1年生、季節は夏頃の出来事だ。
人形作家の父と、自分自身が作った“人形”
未空さん自身の制作に対する気の持ち方が変わり始めたタイミングと重なり合うように始まるのが、修了制作だ。美大生として歩んだ6年間を締めくくる制作のモチーフとして吉田さんが選んだのは自分の父親の存在だった。
「今後作品制作を続けていこうと思った時にまず自分自身と向き合う必要があると思い、自分を構成している要素を改めて客観的にリストアップしていきました。最初は私自身には「何もない」と思っていました。人形作家の父を持つことが作品になった今から思えば特殊なことに思えるかもしれないけど、リサーチを始めた段階では特に出てこなかったんですよね。でも、何もないと思いながらも、自分の中で少しでも気になるところを色々出してみて、考えていく過程が作品として残ったという感じなんです」
「オリジナルって、みんなと違うことしなくちゃみたいなのがあるけど“自分がつくった作品はそもそもオリジナルなのではないか?”って」
“オリジナル”の概念は人それぞれだ。未空さんが考える“オリジナル”の概念は、少し意外なものだった。
「何もないと思っていたけれど、でもここにいる私はあなたではない。一旦そうした在り方を「オリジナル」なものと仮定して、私を形作る要素を客観的に並べていく中で、そうした問いをも超えて存在している「私たち」の不思議に思いを巡らせることができたのが今回の制作過程で楽しかったことです」
自分のルーツを探し始めた未空さん。
辿りつくのは、必然ともいうべきか人形作家の父親の元だったという。
「わたしの中で確かに父親の存在を感じていたし、リサーチを進めていく中で人形っていう概念にも興味が湧いたんです」
人形という概念。ゆっくりと言葉の意味をほどくと、そこには未空さんなりのモノの捉え方が見え隠れする。
「妹が大学生の時に書いた、人形愛についての卒業論文と、当時たまたま見た映画『エイリアン プロメテウス/コヴェナント』や『ブレードランナー』とかも繋がってきて。父親がこれまで作ってきた人形と、娘であるわたしとの関係性がすごく気になるようになったんです。
『人形には作者自身の姿が映る』なんてよく言われますけど、人形とわたしとを対比して考えるようになっていって。人形にとっての創造主は父親。わたしにとっての創造主も……これもまた父親である側面ってあるんだろうなと思ったんです。『父→娘』の構図と『人形作家→人形』の構図は、きっと一致するんだろうな、とか」
“創造主”という言葉で、関係性を整理する未空さん。作家である父親、そして、その父親がこれまでに“創造”してきた人形は、少女がモデルになっている場合が多い。人形の世界に住んでいた幼い頃の未空さんは、父親が“生み出す人形と自分と”を同じ目線で見ていた瞬間があるのかもしれない、と考えた。
「一緒に作ったあやつり人形は父のアトリエにずっと飾ってあったんですよね。なんとなく家に持って帰りました。それで当時のあやつり人形からインスピレーションを受けて、ものすごく大きな人形をそっくりそのまま作ることにしました。わたし自身も小学校1年生の時に比べてだいぶ大きくなってますしね(笑)実際に大きな人形を制作している時には、父親と過ごした時間を思い出したりしながら作っていました」
アートは、ものの捉え方の変化を体験する装置
今回、未空さんが制作した作品は、2018年2月22日から3月4日までの間で開催された「平成29年度 第41回 東京五美術大学連合卒業・修了制作展」にも展示されていた。しかし、未空さんの作品は、一部「足りない」状態での展示を余儀なくされた。
正確には、「展示したくてもできなかった作品」があった。
「今回の展示プランは、人形だけでなく、父へのインタビュー映像と私の幼少期に父が撮影していた写真も合わせて行うものでした。父に『あなたとのことを作品にしたい』と伝えた時に、大量のアルバムを出してきてくれて。裸で撮られていたり、人形と一緒に写っていたり…。どうして人形と一緒に撮影したのかとか、なぜ裸の状態なのか、人形と娘の関係についても実際に父親にインタビューをしていて。今思えば結構、酷な質問だなと思いますけど(笑)
その映像作品と人形と写真の全てを合わせて私の作品でした。だけど、美術館側から一部の写真の展示が「物議を醸し出す恐れがある」として拒否されてしまいました。家族写真とはいえ子供の裸が写っている繊細なものであることは自覚していたのでギリギリまで担当教官とやりとりをしていました。五美大展では学生と美術館は直接コンタクトを取ることを許されていないので、どこまでなら展示が可能なのか、展示の構想をするためにも何がしかのガイドラインを事前に示してもらうよう再三お願いしていたのですが、残念ながら動いてはいただけませんでしたね。もちろん、先生個人の問題とは考えていません。もっと仕組的な何かがあるのでしょうね」
「アートって作品を通して自分が今まで持っていたものの捉え方が変わる体験をする装置だと思うんです。鑑賞する方ももちろんですが、作家自身も制作を通して今まで見えてなかった部分が見えてくる。今回は制作だけでなく、展示できなかった作品があったことも含めて私自身かなり色んな側面を見ることができました」
「今回の件で、運営側や美術館、そして大学側の変な動きみたいなのもあったけど、直接面識のない方と電話で話すことがあったり、フェイスブックで食い気味にインタビューを申し込まれたりとか、気にかけてくれるのはありがたいのですが不思議な動きをする人もいて。実はでっかい何かがその人たちを動かしてるみたいな感じがしました。ここが動くとこっちが自動で動くみたいなのとか。あやつり人形じゃないですけど、みんなどっかから誰かに動かされていて、実は私自身の体にも見えない糸が…(笑)みたいな。作品の中だけかと思いきや、現実世界でそれが見えたのが面白かったですね」
この春、学生生活が修了し、アーティスト・吉田未空として生きていく彼女。
行く末の事を尋ねたら、少し他人事のように「どうなるんでしょうね〜」と言い、微笑んだ。
ー作品展示ー
「彼(女)が欲しかったのは私たちが知りたかったのと同じ答えだ」
写真、立体(紙、針金、アクリル)、HDビデオ / 2018
kakite : 鈴木しの/photo by 倉持真純/Edit by Naomi Kakiuchi
吉田未空/Mikuu Yoshida
1993年 神奈川県出身
2016年 女子美術大学芸術学部美術学科洋画専攻 卒業
2018年 女子美術大学大学院美術研究科博士前期過程洋画研究領域 卒業
https://mikuuyoshida.tumblr.com/
主な展示
2016「藪奥晴奈×吉田未空」(女子美術大学相模原キャンパス)
2016「木の軋む音と背中のにきび」(oasis gallery / TWINS町田)
2016「さだかなたまさか」(ハーモニーホール座間)
2016「倉橋琴子×吉田未空」(Yellow House / 人形町)
2017「coil vol.8 メビウス」(ASK?ギャラリー / 京橋)
2017「JOSHIBISION アタシの明日」(東京都美術館 / 上野)
2018「第41回 東京五美術大学卒業・修了制作展」(国立新美術館 / 六本木)
2018「女子美術大学大学院修了制作展」(女子美アートミュージアム / 相模原)
取材フォトギャラリー